【LGBT活動家】南定四郎の本名やパートナーは誰?!【逆転人生】

アテンションプリーズ^^

CAママのイコラです。

人生逆転に、南定四郎さんが出演されました。

南さんは、日本で初めてLGBTの方々ををはじめとする

セクシャルマイノリティのパレードを行った方で御年88歳です。

LGBTパレードというと昨今ブームのようになっており、

ゲイやレズビアンであることを隠さずに参加される方も増えてきましたよね。

公表できるような世の中になってきているのは私個人すごく良いことだと思っています。

そんな南さんの本名や現在のパートナー、プロフィールなどを

調べてみましたので、最後までお読みいただければ嬉しいです^^

南定四郎のプロフィールと経歴

名前:南 定四郎 (みなみ ていしろう)

※本名は山内昇(やまうち のぼる)

生年月日:1931年12月 (2020年現在89歳)

出身地:樺太 大泊町

1972年 ゲイマガジン「ADON(アドン)」を創刊、1996年 廃刊

1984年 IGA日本を設立

日本のLGBTムーブメントのルーツの1つとなる。

現在、人権アクティビストの会・事務局長。

著書「エイズと共に生きる」、共著「エイズを知る」

南さんの本名は山内昇さんというそうです。

南さんは少年時代から東京に出てきて、様々な職を転々とし、

43歳の時に自身がゲイであることを公表されました

その年にゲイマガジンの「アドン」の編集長となられます。

「ゲイによるゲイのための月刊雑誌」を発行することは多くの

ゲイの方のニーズでした。

雑誌の背表紙に、「南定四郎責任編集」と刷り込み、ゲイである当事者が

編集しているということをアピールされたそうです。

確かに当事者が作っているとなると説得力も好感も増しますよね。

創刊号の裏表紙には南さんの顔写真も掲載されたそうです。

南さんはカミングアウトすることに躊躇は無かったそうです。

日本で初めてLGBTパレードを行ったきっかけとは?

そもそものきっかっけは、1984年に国際ゲイ協会から日本支部を作らないかと

打診されたことだそうです。

1度は断ったそうですが、しばらくして再度依頼が来たそうです。

しかし、ひょんなことから、スウェーデンのIGAの方を南さんのご自宅で

泊めることになったそうでその方と1週間ほどお話しをしていくうちに、

やってみたいという気持ちになったそうです。

そして10年後、パレードが実現した時、西新宿のスタート地点に集まったにはたったの50人。

それが、新宿南口に行くにつれ、大きな歓声とともに参加してくる人が増え、

ゴールの宮下公園では300人ほどにまで増えていたそうです。

南さんのパートナーは誰?20歳年下で沖縄在住ってホント!?

南さんとパートナーの方とはお付き合いをされて46年になるそうです。

すごい長いですよね!

私なんて旦那との付き合いはまだ10年もないのでただただ尊敬です!

残念ながらお写真などは探すことはできませんでした。

南さんは、パートナーの方と仕事柄、生活が不規則で、

なかなか2人の時間を取れない中、お互いなんとか相手に合わせようと

努力し、そういった努力が生活全般に渡っていたので46年もの間、

長く続いているのではとおっしゃっていました。

これには激しく同意ですね!

同性であっても異性であっても相手を思いやる気持ちが

ホントに大切だと思います。

そして2011年にはパートナーの方と沖縄に移住されています。

なぜ沖縄かというと、特別意味は無いそうですが

南さんは狭心症で冬の寒さがつらく、そんな時に

冬に沖縄に旅行に行ったら暖かくて体が楽ですぐに移住を決めたそうです。

確かに沖縄は冬でも普通に20℃以上ありますもんね!

それにしてもすごい行動力です!

まとめ

今回は日本のセクシャルマイノリティ(LGBT)運動の父、南定四郎さんについて

プロフィールや経歴、本名やパートナーの方についてまとめてみましたが、

いかがでしたでしょうか?

最近は企業の協賛なども多く、昔からは考えられないほど規模も大きくなった

LGBT運動。

このブームをブームとして終わらせないためには、当事者自身が周囲に流されずに

自分の頭で考えていくことが大切だと南さんはおっしゃっています。

私もこういった運動があるということを知っていくことが

大切なんだなと思いました。

最後までお読みいただきありがとうございました^^

コチラの記事もよく読まれています↓

【野菜バイヤー】小堀夏佳の野菜マニアにおススメの野菜を紹介!【プロフェッショナル】

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする